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ロータス・カルテット コンサート・レヴュー


南ドイツ新聞(ジュートドイチェ・ツァイトゥング)

2006年10月6日付

出だしの響きを聞いただけで・・・世界水準

ロータス・ストリング・カルテットがブルックナー、ヴォルフ、
メンデルスゾーン・バルトルディの作品で感動的な演奏

 於グレーベンツェル。ロータス・ストリング・カルテットについて報じられることがどうしてこんなに少ないのかその理由は、おそらくその地味なアプローチにあるのだろう。それ以外には、「グレーベンツェル・コンサートシリーズ」でシュタイナー学校のコンサートホールが満員に膨れ上がらなかったことの説明ができない。出だしの音を聞いただけで、このカルテットが世界一流の水準にあることがわかるほどであったのに、である。
 かつてロータスに極めて高い精神性をもたらしたメロス弦楽四重奏団の創設メンバーでもあるゲルハルト・フォスが、このコンサートでは第2ヴィオラとしてその温かみのある響きを更に補っていた。結果、完全なる均質性を具えたブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調が実現されていた。この曲には交響的に構想された様々な響きや、突然の休止、そして転換が含まれていることに加え、なんといってもその強弱法がドラマトゥルギーに溢れているなど、その演奏は決して易しいものではない。殊に、ロータスは歴史的交響曲作家としてのブルックナーよりも、室内楽としてのブルックナー、自身の内面深くに向かっていくブルックナーを探求していったのであるからなおのことである。しかし、フォスの演奏は節度あるアンサンブルを全身全霊で志向するものだった。
 このカルテットは、元来4人の日本女性によるアンサンブルが培ってきた極めて女性的なスタイルを有する。第2ヴァイオリンに男性が加わったのは2005年になってからだ。それだけにこのカルテットでは、バランスの追求にもいっそうの細心さがみられる。中でもアダージオの楽章においては、そのバランスが心地よい、自らの中に安らいでいく響きを形作っていた。そしてスケルツォの不気味なパッセージでは、深遠なる緊張が高められてゆき、トリオでその緊張を再び快活な爽やかさの中に解き放っていた。
 中音域を増強していることで、柔軟で造形的な要素が既に作曲の段階で組み入れられている。その点がメンデルスゾーン・バルトルディの作品とは異なっている。メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲二長調作品44−1では暗い要素は放棄されており、また第1ヴァイオリンに極めて支配的な役割を与えている。この曲でロータスのアンサンブルは、華麗な技巧を駆使しながらも、なおかつ極めて洗練された領域に達する「違い」を確信を持って構築してみせた。
 下地の強さは、加重を強めたりあるいはテンポにスパートをかけたりといったことによるのではなく、むしろテンペラメントの激しさによるものだ。速いテンポの第1、第4楽章は、聴く者の心をぐいぐいと掴んでゆき、それが牧歌的なメヌエット(第2楽章)では快く弛緩する。そしてアンダンテではヴァイオリンの旋律が新たな姿を現す。
この変幻自在さは疑いもなくこのロータス・カルテットの強みである。最終楽章のプレスト・コン・ブリオでは、またも演奏する喜びに溢れた熱気を感じさせるすばらしい演奏であった。この熱気は、その前のフーゴ・ヴォルフの「イタリアン・セレナーデ」の楽しい演奏でも感じられたものだった。加えて、その曲名にそむかぬ南の海の色彩感をも具えていた。この曲は未完の作品の第1楽章ではあるものの、これだけで生命力溢れるロンドとして完結している。この日のプログラムにあって一息つける挿入であったが、この曲でロータスのアンサンブルがもつ見事なカンタービレの技量が余すところなく披露された。アンコールのシューマンの緩徐楽章で聴かれたアンサンブルのハーモニーと同様、とても根元的な響きであった。熱烈に喝采をおくりたい。
記事:ラインハルト・パルマー




フュルステンフェルトブルッカー・タークブラット紙


2006年10月6日付

ロマン派作品で魅力に富んだ演奏


新コンサートシーズンの開幕

 於グレーベンツェル。ロータス・ストリング・カルテットがシュタイナー学校の祝祭ホールにおけるコンサートシリーズの幕開けとして、ロマン派作品を極めて表現豊かに演奏した。ロータスは1993年に結成され、その評判は一級の折り紙つきである。第16シーズンにあたるコンサートの聴衆は、小林幸子とマティアス・ノインドルフ(共にヴァイオリン)、山碕智子と客演のゲルハルト・フォス(共にヴィオラ)、そして斎藤千尋(チェロ)のメンバーが、「五本の弦楽器のための交響曲」とも呼ばれるこのアントン・ブルックナーの五重奏曲ヘ長調(1879年)でどんな演奏を聴かせるのか期待に満ちて待ち受けていた。
 この日本とドイツのメンバーからなる演奏家たちはその美しい響きで魅了したが、その音色は決して平板な滑らかさではなく、表現豊かな歌に満たされたものであった。主題の多くがエレジー調で、その中のソロのパッセージもなかなかよかったが、その主題の逍遥するような旋律に、速いテンポのスケルツォと、より緩やかで、気まぐれなピチカート部を持つウィーン風トリオの軽やかな快活さが対比されていた。それだけに、憂鬱な歌としてのアダージオの解釈はいっそう効果的で感銘を与えるものであった。極めて集中力の高いアンサンブルであり、ヴァイオリンの心地よい音色とヴィオラの豊かで温かい響き、そして低音楽器としてよく響いたチェロが印象的であった。密度の濃い演奏によって影の部分も意味あるものとして浮かび上がり、神秘主義者としてのブルックナーを認識させられた。フィナーレでは、より慎重に深い思慮をもって光明を目指すべく、勢いに任せた進行は避けられ、それによってブルックナーの精巧な対位法が明快になっていた。

「軽やかなロンド」
 45分もの長さのブルックナーの五重奏曲に続いて、フーゴ・ヴォルフの小曲「イタンリアン・セレナーデ」(1887年)が四重奏用の初稿で演奏された。ロータスはこのロンドを軽快に形作り、恋人たちの歌であるヴィオラとチェロのパッセージが魅惑的に奏でられ、軽やかな風のようなピチカートが情熱的な表情へと移り変わっていった。そして、そこまでまだ登場のなかった初期ロマン派からロータスが演奏したのは、フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディの作品44−1ニ長調(1838年)であった。
 ロータスはこの曲の第1楽章モルト・アレグロ・ヴィヴァーチェをヴィルトゥオーソ的技巧で演奏し、性急な部分と瞑想的な部分の変化を音色の違いとしても表現していた。続いて哀感に満ちた第2楽章メヌエットを、そして3楽章アンダンテ・エスプレッシーヴォでは集中した演奏で密になっていく曲想を追い、華麗なプレスト・コン・ブリオで曲を閉じた。
記事:アルノ・プライザー



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