ナクソスへのレコーディングは、日本の作曲家をはじめ、新ウィーン楽派、マクダウェル、ナイマンなど、多岐にわたっていますが、もともとレパートリーが広かったのでしょうか?
どうでしょうね、それは。評価がいいからやっているというよりも。やったから評価がいいのであって、例えばナイマンなど、私が最初にやり始めたイギリスものは、自分から選んだというよりも向こうから頼まれてやったものです。BBCでやっていた関係です。BBCは、いろんなレパートリーをこなさなければならないので、そこから広がったと言えるかもしれません。
●楽曲には、スコアの「姿」、スコアの「顔」がある
世界初録音も数多く行っていますが、誰も知らない曲をものにしていく過程は、大きな苦労があるのでしょうか?
それは、どの曲をやるのも基本的には同じです。ひとつの曲を目の前にして、演奏をするにしても、録音するにしても、人物に接するのと同じで、ちょっとずつ知り合っていくようなものです。いわば、朝から晩まで、一緒に生活をして、寝泊りまでしているような期間を経ていくのです。そのプロセス自体は、有名曲であっても、初めてやる曲も同じですし、聴いたことのない曲でも、まずはいろんなところから知り合っていくようにします。アナリーゼをしたり、いろんな資料を集めたりもしますが、結局は、楽譜を読み取っていくことが大切です。大木正夫の場合も、ご本人を存じ上げているわけではないし、人となりも知らないし、そういう意味で、スコアと私しかいないわけです。モーツァルトだって、誰もが知っている作曲家だけれども、私は実際に会ったことはないですし(笑)、結局は、自ら判断するしかありませんから・・・・・・。
すると、スコアそのものと湯浅さんとの関係が大事なわけですね。
楽曲には、スコアの姿というか、スコアが持っている顔があるわけです。そして、顔を見極めて、表情を読み取る。その連続です。私は、日本の曲は、あまり知りませんでしたから、それが逆に、よかったのかもしれません。先入観というのがありませんから、楽譜をまず見て、アダジョーはアダジョーだし、メトロノームの数字が書いてあれば、それを読み取っていかなければなりません。もちろん、その中で、「この指定はおかしいだろう」と思うところもあるんですよ。その場合は、自分の中で多少の加減をしたりすることはあります。でも、できる限りスコアに忠実にやっていくことを、第一に心がけています。
●ニュージーランドのオケとの「日本人楽曲」録音
黛敏郎のアルバムには、《舞楽》のように、きわめて日本的な作品も収録されていますが、ニュージーランドのオーケストラと演奏する過程は、いかがでしたか?
難しいところは、もちろんありました。ただ、最近のオーケストラは、昔と違っていろんな情報を持っています。国や人のことも、テレビなどを通じてよく知っています。いろんな製品から日本のいろんな情報が入っていて、昔の人よりはずっと理解は大きいと思います。例えば、曼荼羅に関しては、「仏教の一つの表れの言葉なんだけど、実は自分自身も曼荼羅を説明できるほど、仏教を専門に研究しているわけではない」と前置きして、自分なりの言葉で説明はしました。
オーケストラも協力的なのですね。
「日本作曲家選輯」は、いろいろなオケとやりましたけれど、みなさん興味津々でした。それに、黛さんにしても芥川さんにしても「ああ、あの人か」というのが全くないんですよ。私は、それはいいことだと思います。芥川さんが有名な作家の息子であるとか、黛さんがテレビの司会をしていたとかは、なにも知らないわけで、パンパンパンと楽譜から見える姿があるだけなんです。「黛さんはこうだから、こんなものか」というのが全くないんですね。新鮮に音だけの勝負ができたんじゃないかな、と思います。もちろん、先入観が助けになることもあります。武満さんの場合、ああいう人柄で、ヌボーっとされててというあのイメージがないと音の響きがしっくりと出ません。武満さんの場合は、「ゆっくりの曲しか書けない」と自分でおっしゃっていたけど、その感じがよくわかるし、武満さんを知らない人はひょっとしたらその辺を謎に思うかもしれません。ある意味では作曲家を知ることが助けにはなると思います。だけど、結局、作曲家は、言ったら悪いけど、いずれお亡くなりになって、作品が残っていく。それで、次の世代がそれを演奏する場合になにを目安に演奏するかというと、行き着くところはスコアしかないと思うんです。
●オーケストラ・プレーヤーたちの「柔軟性」
オーケストラの人たちにとって、日本的なものとそうでない作品を演奏する時の差異みたいなものは、あるのでしょうか?
いや、それは、聴くだけの人と弾く人の大きな違いだと思います。私が、日本の曲を、楽器を演奏しない人に聴かせると、みんなびっくりするんです。要するに、日本のペンタトニックな響きを期待しているんですね。例えば“中国”っていうとあるじゃないですか、映画だと必ず流れる変な音楽が(笑)。そういうのが出てくるのかな、と思っていたら、きちんとした西洋音楽が流れてくるので、驚きをもって聴いています。だけど、プレーヤーというのは、楽譜をポンと前に置いて、もうそれだけですからね。それに対して自分がどう対処するかですから、演奏後に「おもしろい」と言う人はもちろんいますが、日本の曲なのにどうのこうのとは、言いませんね。どこのオケでも、いろんな国の音楽をやっていますから、楽譜が見にくいとか、読みにくいとか、そういうことにはものすごく敏感なんだけれども、出てくる音楽に関しては好き嫌いはあっても、先入観はありません。
プロフェッショナルの鏡そのもののお話しですね。
そう。やはり、オケの人というのは、そういうトレーニングができているんですよ。逆に言うと、日本のオケだって、ブラームスはもちろん、チャイコスキーでもプロコフィエフでも、いちいち驚かずにできるわけだから、同じことです。
●「君、1年に何枚録音できる?」
「日本作曲家選輯」の場合、湯浅さん以外の指揮者もレコーディングを行っていますが、担当する楽曲の割り振りに関しては、なんらかの基準があるのでしょうか?
(きっぱりと)実は、私にもわかりません。ただね、(ナクソスを率いている)ハイマン氏とは、96年か97年に最初に会いました。私が、ナクソスで録音を行う前の話です。彼が、まず私のところに来て、「やってほしい」という話になり、その時に「どんなレパートリーをやりたいか」と訊いてきました。ところが、ナクソスの場合、普段私がやっているようなレパートリーは、全部録音が済んでいるんですよ(笑)。その時に、彼がチラッと「日本のものを」と言ったのですが、本当にチラッとしか言わなくて、私の脳裏には、ほとんど点のようにしか残りませんでした。数年経ってから、アイヴィで片山杜秀さんをはじめ、いろいろな人を集めて企画会議のようなことをやって、本当に始めようということになりました。レパートリーは、(手を大きく広げるアクションをしながら)こ〜んなにいっぱいあったんですよ。その直後、私が香港フィルに行った時に、ハイマン氏とお目にかかりました。彼らは、私の所に来て「仕事はたくさんありますよ」って、ポンとリストをくれました。「これを全部やるんですか?」と訊いたら、「君、1年に何枚録音できる?」と言われたんですが、それくらい意気込みがありました。山田耕筰とか矢代秋雄などの名前がずらりとあって、その中には自分がやりたい人の名もありました。そういうのは、任せてもらえましたし、いろいろな仕事をやって来た中で、アイヴィ側が「これは湯浅さんに向いているだろう」という方向づけもあったのかもしれません。ただ、現実問題として、オーケストラの存在とスケジュールの問題がありますから、それが解決しないとダメなんですけれども、つまり、その都度その都度、決まっていくということです。ただ、なかなか長期的には決まらないんです。突然決まっちゃうんです。今回の大木正夫のレコーディングも、つい最近決まりました。
●アピールしたかった「矢代秋雄」の素晴らしさ
ハイマンさんには、以前インタヴューしたことがあるのですが、矢代秋雄の作品は、音楽としては少し難しいと語っていたのが印象に残っています。
もっとわかりやすい、メロディがきちっとしたものを、という感じがあったみたいですね。ただ、僕はね、なんと言うか、向こうでいろんな曲をやっているのに、いわゆる日本的でプリミティブな曲は、どの曲とは言いませんが、並べるのが恥ずかしいんです。それよりも、向こうの人が知らなくても、ポンと並べても聴き応えのあるしっかりとしたものがあるということを証明したかったのです。日本のオムニバスの第1弾が出た後、西洋のものをちゃんとした言葉で書き得た人がいたのだということを証明したかったのです。武満徹に関しては、向こうの誰もがわかるんです。武満にいくまでに、これだけの積み重ねが日本にあり、矢代秋雄のような完成度の高いものを経て、武満のような人が出てきたんだ、という流れを最初に出したいなと思いました。
あの矢代秋雄のディスクは、インパクトがありましたね。
こんな人が日本にいたことを知らなかったことに、みんな驚いていましたね。その連続になるという意味では、シリーズの存在は非常に大きいです。もっとも、まだ海外では売れないらしいですけれども。僕は、オックスフォード通りのショップに行って、「売れてますか?」って訊いたら、「全然売れてない」って(笑)、埋もれちゃっているわけですよ。日本だとポーンと置いてあるけど、向こうはズラーっと並んでいる中にポツンとありますし、そもそも、矢代秋雄の“Y”なんて、他に作曲家がいないんですよ。
それこそ、イザイくらいですね。
ええ。矢代、山田というのは、目立たないんですよ。でも、シリーズとして存在感をはっきりと打ち出せたら、今度は、シリーズを探し出して、「知らない名前の作曲家だけれども、聴いてみよう」という具合になるのではないでしょうか。
すると、武満までの流れの源流に、山田耕筰がいるという意図もあったわけですね。
山田耕筰集は、最初に録音しているんですよ。日本にもこういう人がいたという大きな歴史的意義があると思いました。ただ、序曲の楽譜が揃わなかったという問題があって、出るのが少し遅れたのです。
●秋に行なわれる、都響との「山田耕筰」作品コンサート
10月15日に東京芸術劇場大ホールにおいて、山田の作品を都響と共演するという情報も耳にしています。
演奏会は、第1部が《序曲ニ長調》、交響曲《かちどきと平和》、交響詩《曼陀羅の華》、第2部が長唄交響曲《鶴亀》、交響詩《明治頌歌》です。《鶴亀》は、R・シュトラウスみたいな曲を書いた山田が、邦楽との融合を考え、邦楽そのものが入っているわけです。邦楽の人たちにクラシックをやらせるということではなく、そのまま取り込んで、それをオケと融合させているんです。
第2部の2曲に関しては、演奏会後にレコーディングも行われると聞いていますが。
はい、そうです。
今回の大木正夫もそうですが、今後、日本のオーケストラとの録音も増えていくのでしょうか?
どうでしょうかねえ。ただ、編成的に、日本特有の楽器とか、大型の鐘とかが必要とされるケースが出てきますし、その場合に、日本のオケではできません、ということでは、「日本作曲家選輯」のシリーズが行き詰ってしまいますからね。
●日本のオーケストラ、そして聴衆との「これから」
湯浅さんは東京の音楽ファンとは接点があまりなかったので、都響との演奏会をとても楽しみにしています。
簡単に言うとご縁がなかった、ということだと思います。生まれが大阪ですし、日本の学校を出ていませんので、先生も友だちもいない状況です。
日本の音楽大学を出ていないということが、ご自分の音楽づくりに影響を与えているとお感じになりますか?
日本の音大に行ってないので、わかりません(笑)。私は、それは“人間万事塞翁が馬”だと思っています。ただ、アメリカで勉強を終えてみると、結局、仕事をするにしても日本とは何のコネクションもありません。スタートするまでに、ものすごく時間がかかりました。また、BBCで仕事をすることになったことは、大きかったですね。ヨーロッパにいると、以前の私がやっていたようなドイツ、オーストリアものばかりやっている人たちがたくさんいるんです。「これをやりましょう」と言うと、「それはもうやった」とか「来年の予定にもう入っている」ということが結構ありました。それで「じゃあ、これをいきましょうか」と言うと、「あ、それそれ!」となります。
その他のインタビュー
●ブラームス 交響曲全曲チクルス インタビュー
●レコード芸術 2005年11月号
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