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| 湯浅 卓雄 新聞・雑誌・インターネット 掲載記事 | ||||
読売新聞(夕刊) '07 9月20日 大阪シンフォニッククヮイア ハダスフィールド合唱協会合同演奏会 まず聴いて楽しいとか面白いとかいうよりも、それが担う何か切実な経験に刮目させられる−英国の大家ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」はそうした類の音楽だ。東西冷戦の最盛期に書かれたこの曲は、2度の大戦の悲惨さを振り返りつつ、更なる悲劇の到来を憂えたもので、その響きにはまさに時代の一つの経験が刻印されている。そして、それは今なお、聴き手の心を打たずにはおかない。 この問題作に挑んだのは、大阪府枚方市を拠点に、管弦楽との共演作品に取り組み続けるアマチュア合唱団の大阪シンフォニッククヮイア。 今回は英国からハダスフィールド合唱協会とトリニティ少年合唱団のメンバーを招き、岡崎他加子、マーティン・ヒル、井原秀人といった独唱者、それに大阪フィルハーモニー交響楽団といずみシンフォニエッタ大阪の共演も得て、湯浅卓雄指揮の下に1時間半の長丁場に臨んだのだった。 だが、この作品はなかなかの難物だ。ブリテンの筆致は何かを声高に訴えたり、感傷に耽ったりするようなものではなく、むしろ極めて冷静かつ端正。演奏に対して妙な思い入れや過剰な演出を拒みつつも、しかるべき共感と緻密さを要求するのだ。その匙加減が実に難しい。そして当日の演奏からは、この点を大いに感じさせられることとなった。個々の部分に何か際立った不満があったわけではない。むしろ、聴き所はいくつもあったが、全体としてどこか的を絞り切れていないという印象が拭えなかったのである。 とはいえ、実演に接する機会の少ない傑作が演奏されたことには、十分な意義があろう(もちろん、一定の水準を満たした演奏なればこそ、こう言うのだが)。私も実演で聴くのは初めてだったが、充実感はあれど、それは単なる感動やカタルシスではなかった。改めてその「時代の証言」に震撼させられると共に、現在の世界を覆う限りなく深い混迷をも想わざるを得なかった。 (音楽評論家 大久保賢) 8月4日、大阪・フェスティバルホール。 音楽の友 '07 9月号 オーケストラ 関西フィルハーモニー管弦楽団/第194回定期公演 湯浅卓雄の指揮。開始の瞬間から緻密な音設計を印象付けた。モーツァルト〈フリーメイスンのための葬送音楽〉では深い響きや音の重なり、弦と管との巧みなバランスや受け渡しなどを通して、彫りの深い悲しみの音楽を引き出した。続くモーツァルト「フルート協奏曲第1番」には独奏者に高木綾子が登場。歯切れのよい、弾むような抑揚のフルートがオーケストラと対話する時、何か同時代の作品を聴いているような新鮮な雰囲気を演出する。第2楽章のトーンをもう少し沈潜した世界へ誘導して欲しい気もするが、オケが奏でる旋律を引き受ける際などの高木の間合いは実に巧みで、曲の楽しさは十分に噴出した。 後半は湯浅のもっとも得意なレパートリーの一つ、エルガーの「交響曲第2番」。前半からの音設計がダイナミックに増幅された。全体に悠揚としたテンポで分厚い響きが作り出され、第1楽章冒頭の雄大な主題にも単に“高貴さ”だけでなく、想いを刻み込んだ襞が加わる。この響きは流れによって多様に変化、第2楽章では深い悲しみが引き出された。フィナーレも聴衆に思索を誘いかけるように透徹した響きで締めくくった。好演である。 6月28日・ザ・シンフォニーホール (嶋田 邦雄) クラシック・ニュース “大阪での「戦争レクイエム」のためにイギリスから115人が来日する!” 毎日新聞(夕刊) '07 8月2日 橋渡し役の湯浅卓雄 市民共演こそ平和の証し 8月は平和への祈りを込めた音楽会が相次ぐ。今年注目したいのはブリテン「戦争レクイエム」(4日、大阪・フェスティバルホール)。二つのオーケストラ、大合唱団、独唱3人を要するために演奏機会が少ない。第二次世界大戦の悲しみから生まれたこの曲を、日英両国の市民合唱団が心を一つにして歌う。 共演するのは大阪シンフォニッククワイアと、英国のハダスフィールド合唱協会とトリニティ少年合唱団。大阪出身で、両国を拠点にする指揮者の湯浅卓雄が橋渡しをした。英国側は「8月に日本でこの曲を歌うのは意義深いこと」と快諾し、1年半前から合唱団間の打ち合わせを開始。湯浅も帰国のたびに大阪の合唱団を指導してきた。 これに大阪フィルハーモニー交響楽団といずみシンフォニエッタ大阪、岡崎他加子、マーティン・ヒル(英)、井原秀人の独唱が加わり、総勢350人以上で演奏する。 湯浅は「『戦争反対』と言葉にする以上に、音楽が平和への願いを雄弁に語るはず。2カ国の音楽家が同じ舞台に立つことこそ平和の証しだし、その姿から聴衆も思いを共有していただけたら」と語る。午後4時開演。コジマ・コンサートマネジメント(06・6241・8255) (出水 奈美) |
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| 湯浅卓雄(指揮)ブリテン:『戦争レクィエム』公演批評 管弦楽:ノーザン・シンフォニア ほか 合唱:英国ハダスフィールド合唱協会、トリニティ少年合唱団 会場:ハダスフィールド・タウン・ホール |
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ベンジャミン・ブリテンの合唱曲の代表作である「戦争レクイエム」が、しっかり統制のとれた素晴らしい音楽集団によりザ・セイジ・ゲイツヘッドで演奏され、そのコンサートは畏敬の念をよびおこすものとなった。 全てのものが平和と和解というテーマのために尽くした 指揮者というものは、われわれがその存在にかろうじて気づくくらいの時が最もよい出来であると言えるのかもしれない。湯浅卓雄が特に控えめな存在だと言っているのではない。彼の身振りは他のどの指揮者に劣らず流麗であるし、彼のこれまでのキャリアといえば国際的に大いに成功している。しかし、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」の演奏というものは、その構成要員の力量を単純に足しただけよりも、演奏全体としての価値がずっと優れたものとなるべきである。演奏に加わるひとりひとりの貢献の大小に違いがあったとしても、そこでは将軍も一歩兵も等しくその音楽に奉仕する存在である。そして戦争レクイエムの音楽は平和と和解というテーマに尽くすものなのである。 この作品はコヴェントリーの新しい大聖堂の奉献式のために書かれ、14世紀に建てられた元の聖マイケルズ聖堂がドイツ空軍に破壊されてから22年後にあたる1962年にコヴェントリーで初演された。そして、ラテン語の死者の為のミサに第一次世界大戦の犠牲者であるウィルフレッド・オーウェンの詩が組み入れられているのだが、このオーウェン同様、ブリテンの反戦感情は今世紀にあってもその今日的な意義を何ら失うものではない。 第一次世界大戦中の将軍とは違って、湯浅は明確でなおかつ表現力の高いタクトの振りによって、それぞれの入りを指示し、また上階後方ギャラリーのクロイドン・トリニティ少年合唱団を監督しているデビッド・スウィンソンと協調しながら、彼の部隊をしっかりとまとめ、リードしていた。湯浅の周りには大編成のハダスフィールド合唱協会とノーザン・シンフォニアのオーケストラ、オペラ・ノース・オーケストラ、そして3人のソロ歌手がずらりと並んでいた。ソロ歌手たちは時にオーケストラの流れにのみ込まれることがあったものの、より静かなパッセージでは、テノールのポール・ナイロンとバリトンのグラント・ドイルによるオーウェンの戦士たちの性格描写がはっきりと説得力を持って現れ出ていた。彼らは「次の戦い」では冷淡なほどに平然としていた:「あそこで、私たちはなかよく死に向かって歩いた・・・」 ソプラノのジャニス・ワトソンは上階の前方ギャラリーで歌い、彼女の「願わくば天使の歌声」は混声合唱の輝くようなサウンドから歓喜に満ちて浮かび上がってきた。 トーマス・ホール評 ザ・ジャーナル紙 2007年4月2日付 戦争の悲嘆を雄弁に伝えるパワフルなミサ曲 ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」は、パワフルな力をもった曲であるが、最後は囁きに終わる。 最後の消え入るような「アーメン」は、この長くてドラマチックな曲中の、入念に練り上げられた他のどの部分にも劣らず雄弁に戦争の痛みを伝える嘆きの声である。そしてコーラル・ソサエティのメンバーがそのアーメンで発揮したコントロール力、声の質とイントネーションは、そこに到るまでの90分間で見せてきたどんな力量に劣らず素晴らしいものであった。 とはいえ、最後の瞬間を特別に素晴らしかったというのであれば、この当然ながら受けのよかった演奏には他にもそのように素晴らしいところがいくつもあった。演奏にあたっては、コーラル・ソサエティとこの地域の二つの優れたオーケストラであるノーザン・シンフォニア(ニューカッスル)とオペラ・ノース(リーズ)のオーケストラメンバーが共演している。 この大編成の歌い手と奏者たちを指揮したのは湯浅卓雄だが、彼の指揮によってこのレクイエムが持つ様々なムードが、苦悩や悲しみから苦味の効いたアイロニーに到るまで、完全に捉えられていた。 この作品は、少なくとも6世紀にもわたり数知れぬ作曲家たちによって曲をつけられてきたミサ・レクイエムのラテン語の詞に、第一次世界大戦中の塹壕で亡くなったウィルフレッド・オーウェンの詩が組み合わされている。宗教的な感傷に対してオーウェンがとった厳しい関係が、この「戦争レクイエム」にはなはだしい内面的葛藤を与えている。 ソリストたちの中ではテノールのポール・ナイロンがオーウェンの声を効果的に演じ、極めて感動的なこのテキストへの共感を示していた。 バスのグラント・ドイルとソプラノのジャニス・ワトソンも印象的であった。 クロイドンのトリニティ少年合唱団はギャラリーに配置されていた。子ども達は彼らの責任を十分立派に果たしていた。とはいえ、ハダースフィールドほどの地域で自らの少年合唱団を招集できないのは残念なことではある。 記事:ウィリアム・マーシャル ハダースフィールド・デイリー・エグザミナー紙2007年3月31日付 宗教は戦争を引き起こしはしない。しかしながら宗教は、人々の心に入り込んでパワーを手にしようと試みる者達が、彼らの創造主の名において殺し、傷つけるための手段を与えるのである。 まずはこれが、ベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」の根底に横たわる主題であり、自ら宗教を持つことはなかった平和主義者ブリテンの平和への叫びである。 運命の定めか、私はこの作品を幾度となく聴いており、またその録音も数多くある中で、私も一度、録音をプロデュースしている。それでいながら、ハダースフィールド・コーラル・ソサエティによるこの度の演奏ほど深く感動した経験はほとんどない。 この合唱団は男声部が通常より大勢で、それをベースにした重く厳粛な声調を備えている。典礼文から男声ソリスト二人による戦争シーンの描写に移る際には、ディエス・イレ(「怒りの日」)の爆発的な力強さが、畏怖と戦慄の効果を十分に挙げていた。クロイドンのトリニティ少年合唱団は並外れた確実さで歌っており、それは天使の、と形容するよりは、地に足の着いた着実な演奏であった。かわってわれわれを天界へと誘ってくれたのはコーラスの中の女声であった。ジャニス・ワトソン、ポール・ナイロン、そしてグラント・ドイルら3人のソリストたちは素晴らしい出来で、ナイロンは感情のこもった歌詞にオペラ的なアプローチでのぞみ、死せる兵士の暗く運命付けられたデュエットでは男声が完璧なバランスを見せていた。 ノーザン・シンフォニアの各首席奏者は室内楽メンバーとしてまさに一流であった。そしてオペラ・ノースの弦楽セクションが時折あたふたと綻びを見せたものの、オーケストラ全体としては、手際よく伝達力のある湯浅卓雄の指揮に適切に反応していた。湯浅の作品全体への共感とペース作りは全く理想的であった。 記事:デビッド・デントン ハダースフィールド・デイリー・エグザミナー紙2007年3月31日付 |2008|2007|2006|2005|2004|2002| | アーティストニュース|トップページ| |
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