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湯浅 卓雄 CDレヴュー

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レコード芸術 2005年10月号 新譜月評 交響曲 準特選盤(小石忠男、宇野功芳)


【推薦】別宮貞雄(1922〜)は、東大在学中から池内友次郎に作曲を学び、フランスに留学してパリ音楽院でミヨーとメシアンに師事した。はやくから作曲家として認められ、数々の賞で名声を高めた。彼のバイオグラフィと業績については片山杜秀氏の解説にくわしいが、作品には5曲の交響曲がある。ここではかなり対照的な作風の2曲が選ばれている。いずれも世界初録音である。
 交響曲第1番は日本フィルの委託作品で、1962年に初演された4楽章の曲である。初演のときには、あこがれ、たたかい、なげき、・・・・・・そしてまた、という副題が各楽章に付いていたが、きわめて円満な作風によって、ゆたかな叙情性を表現した作品である。フランス近代音楽の味わいを色濃くとどめた音楽ともいえる。演奏もそうした作品の本質を端的に表明しており、第1楽章冒頭の詩的な旋律やエピソードの表現も的確である。第3楽章の悲哀の感情や力感と推進力の充溢した終楽章もきっちりと表現されている。
 第2番(1977年作曲。1978年および2004年改訂)は、このCDが最終稿の初演ということだが、作曲者の内面を大胆にあらわしたような音楽は、第1番よりもかなり個性的で、師のメシアンから絶賛された。情熱が噴出するような第1楽章では、3つの性格の異なる主題があらわれ、それらが簡明な形式でまとめられる。演奏も歯切れよく、求心的な響きの説得力が強い。第2楽章は《リタニー(連祷)のように》という副題をもち、きわめて美しい2つの主題で構成される。整頓された演奏は、知的と評してよい。フィナーレの第3楽章はパッサカリア風のアレグロ・モデラート。これまた非常に整った演奏で、曲の輪郭を鮮麗に表現している。とはいえ私としてはさらなる緊張感が欲しい。
(小石忠男)


【準】交響曲第1番は1961年作。初演のときは4つの楽章のそれぞれに《あこがれ》や《たたかい》《なげき》《・・・・・・そしてまた》という副題がつけられていたが、出版のときけずられた。同曲は明子夫人に捧げられている。
 タイトルを見てもわかるようにロマンチックな音楽である。多数の打楽器群が使用されているが、ほとんど目立たず、第1楽章の冒頭から美しいヴァイオリンのテーマが歌われる。どこか日本的な色合いを持ち、作曲家の憧れ心に惹かれる。
 第2楽章は力強いスケルツォだが、破目をはずすことはなく、いささか常識的な感も否めない。第3楽章は息の長いメロディが魅力的で、とくに後ろを振りかえりつつ進むコーダは痛く心に残った。第4楽章は勝利の賛歌だが、途中、第1楽章のあこがれの主題が戻ってくるあたりは別宮の真骨頂といえよう。演奏も共感にあふれている。
 交響曲第2番は1977年から翌年にかけて書かれ、昨年最終改訂された。そして師のメシアンに捧げられた。
 3つの楽章から成っているが、ぼくは第2楽章アダージョが傑作だと思う。深い瞑想が底流し、常に誠実。常に真摯だ。曲は心の叫びとなり、心からの祈りとなり、しかも、その中に人生への懐疑がいら立つように語られる。
 湯浅卓雄指揮のアイルランド国立交響楽団は、ここでも強い集中力を持ちつつ、少しも力むことなく、音楽の本質をあぶり出してゆく。
(宇野功芳)



クラシックジャーナル 016 新録音・新譜 評 安田寛

 読者諸氏は、BCAなる組織をご存知であろうか。これは、現代日本の作曲家の作品を出版する協同組合的な自主出版組織で、戸田邦雄、石井眞人の作品も扱っている。そこの別宮貞雄のプロフィールに「老人ホームの作曲家」とあり、複雑な気分になってしまった。彼の業績については、例によって片山杜秀氏の解説に詳しいが、器楽曲から五つの交響曲、オペラまで幅広いジャンルの作品を手がけ、特に記録映画の劇場作品が多いのが特徴だろうか。娯楽映画ではあの和製怪作ホラー《マタンゴ》がある。
 そのことからも分かるように、別宮の音楽は、現代の前衛音楽的な難解さとは無縁である。少年時代から愛好していたのはベートーヴェンで、「音楽は心から出て心に至る」というベートーヴェンの言葉を実践するかのように、音楽は自らの心情を反映したものでなければならないと考えているという。
 フランスでミヨーのクラスに入る際、定員一名の外国人枠を巡り、敗れた人物がシュトックハウゼンであるのは象徴的でもある。また、例えば一九九七年のチェロ協奏曲《秋》は、脳梗塞で倒れた細君、明子夫人(第一番は彼女に捧げられた)の最後をみまもる傍ら、一生を回顧する思いを込めて作曲された。
 本盤の二つの交響曲にも、別宮のそうした音楽観が見事に反映されている。双方とも初録音(第二番は改訂版による)。こういった立派な音楽でさえ、忘れ去られ続けるのは仕方ないにしても、もうすこし高い頻度で復活されないものか。物理の実験で再実験による再検証が重要なように、時には再録音も必要である。別宮の交響曲も、第三番以降の録音はある。だが逆にそのことが本質を見えなくさせているということもあるのだ。
 幸いなのは、本盤の演奏は単なる作品紹介に終わらず、議論の余地のないほど完成された理想的な演奏であることだ。矢代秋雄などフランスで留学を経験し、日本で交響曲を書いた作曲家は大勢いる。あまり交響曲を書かなかったフランス人作家の遺伝子は、日本の交響曲作品に受け継がれている。作品のテクスチャは第一と第二で異なるが、その面においては共通している。湯浅卓雄とアイルランド国立響の敏感なセンスのよさと荘重な風格漂うサウンドが、曲想に見事に対応する。


 
ミュージック・ペン・クラブ MPC LAND Review '06 3月号

 別宮貞雄ほど自己の信じる道を歩み続けている作曲家はない。別宮は前衛に対する一貫した戦闘性をとり、彼にとっての音楽はまず”歌”であり、それが時間軸上に展開される音の造型芸術である。交響曲などの大規模な作品でこそ本領を発揮した別宮だが、今までにそれを五曲作曲。「交響曲第一番」は、1961年に「日フィル・シリーズ」第七作として作曲され、四つの楽章から成る。日本情緒的な情感にあふれるロマンティックな第一楽章、熱狂的なスケルツォの第二楽章は躍動感があり力強い。第三楽章がレントで悲しみと懐疑と、慰めのような楽想が提示される。終楽章は運動性と遊戯さが同居しており、全曲を通して聞き易い。
 「交響曲第二番」については別宮の師であるメシアンが次のように記す。「・・・・第一楽章の第一主題はエネルギーにみち、ヴァイオリンのよく歌う旋律、フルートにチェレスタとクラリネットとヴィブラフォンの美しい花飾りが第二主題をつくり、それがとてもうまく展開して再現するのは喜びです。第二楽章は、堂々として威厳があるように思われます。・・・・終曲はさらにまた大変力強い。しかしその極めて輝かしいオーケストレーションのおかげで例外的な力を得て、旋法的二長調に静かに収められる終わりはさらに美しい。・・・・」メシアンが述べている事がすべてであり、このような交響曲が日本人の手によって作曲されているのである。多くの人に聴いてもらいたい。
(藤村 貴彦)




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